【日本の歴史と地域の歴史】小諸の氷風穴って知ってる?長野県と養蚕の深いかかわり
みなさん、養蚕業はご存じですか。
養蚕ーーそうです、蚕を育ててサナギにして、蚕の繭から絹糸を紡ぐ(これは製糸)、あの養蚕です。
社会科の現場学習でお隣・群馬県の富岡製糸場を見学したかたも多いのではないでしょうか。
明治時代の日本と養蚕
明治時代、開国したばかりの新しい日本にとって、欧米により植民地化される国の多いなか国家の独立を守り、欧米列強と肩を並べる強国を目指す必要がありました。その「富国強兵」のために、欧米諸国からさまざまな制度や技術を導入した改革が行われます。なかでも政府の考えた国力の大きな違いは経済力の差でした。そこで多くの官営工場が設立されることとなります。そのなかのひとつが富岡製糸場などの生糸を生産する工場でした。
当時、生糸を多く輸出していた清国はアヘン戦争によって国内情勢が悪化、生産が落ちてしまいます。また、ヨーロッパにおいても蚕の病気が蔓延して多くの蚕が死滅していたことから、つぎにヨーロッパ商人の注目を浴びることとなったのが日本の生糸でした。
海外からの需要が高まるなか、品質の悪い生糸なども出回るようになり、このままでは国産生糸の評判が悪くなって国益を損ねると考えた政府は大規模な製糸場を設立、たくさんの人々に製糸技術を正しく教え、また、生糸の大量生産を可能にしたのでした。
養蚕と信州の風穴のかかわり
さて、明治〜大正時代においては、長野県の養蚕業・蚕種業・製糸業は全国トップでした。なかでもカイコガから蚕種(蚕の卵)を採集する蚕種業は県内の冷涼な気候にとても相性がよく、通常蚕の自然孵化だと年に1〜2回が限度であったのに対して、風穴に蚕種を冷蔵保存することで年に5〜6回もの孵化が可能になりました。なかでも小諸の氷風穴は全国一の蚕種貯蔵高を誇り、ちかくに小諸停車場があったことから汽車による全国輸送をすることで、日本各地での養蚕業をバックアップすることができました。(氷風穴パンフレットを参考)
小諸IC近くにあるJA東信会館もかつては製糸場でした。今も敷地内には蚕霊供養塔という石碑が建てられ、当時の様子がうかがえます。
佐久市にもいたるところで桑の木が植えられていますね。桑といえば蚕の飼料としておなじみの木です。こちらも養蚕をしていた時代の面影でしょう。学校帰りに桑の実を食べている小学生をよく見かけます。
また、市内の平賀神社には蚕影神社の石祠があるそう。桑の葉や繭がレリーフとして彫られているとのことです。いま行ってみたい場所のひとつです。(M)
長野県佐久市岩村田にある個別指導塾『個太郎塾佐久平教室』
営業時間:15時から21時(金・日曜日定休)
〒385‐0022 長野県佐久市岩村田936‐6 TEL:0267‐88‐7861